UTRECHT | 東京都渋谷区神宮前5-36-6 ケーリーマンション2C | info@utrecht.jp | 03-6427-4041

『intimacy』と『マダム・キュリーと朝食を』

 IMG_0180

iheiaward


先週の4月17日、お店を普段より早めに閉めて、スタッフみんなで東京會舘で開かれた木村伊兵衛賞授賞式に行ってきました。ユトレヒトでも作品集をお取り扱いしていたり、個人的にもOSSUを一緒に作ったりと、仲良くさせて頂いている写真家の森栄喜さんが受賞されたので、お祝いに。

受賞の言葉などはこちらにありますが、写真に写されているのは「思い悩んでいた頃に、夢として思い描いていた生活そのもの」であるというひとことが、彼の作品がもつ強さを表していたように思います。森さんの受賞作『intimacy』には、例えばマーク・モリスローの写真がもつ夜っぽさ(それは時代性も多いに関係してますが)は希薄で、ライアン・マッギンレーの一時期の写真が見せた外へ外へと向かう若気の至りのような推進力もなく、あくまで東京の小さな街角の日常風景であり続け、そこには確かな心地よさがあります。

ある体験を通じて、世界が目の前で開けてゆく感覚を得ることが時々あります。それは、たとえば写真を撮って得られることかもしれないし、写真を見ることで得られることかもしれない。僕にとっては、19歳くらいの頃ネットを通して外の世界との繋がりを得たとき、23歳のときはじめてフェリックス・ゴンザレス=トレスの作品に触れたときだったのかな、と思います。それが美術作品からもたらされたものであるなら、受ける肯定感が余韻として、長く心に残ったりする。森さんの写真を初めて見たあと、僕は東京の風景ががらりと変わったように思えました。東京という場所にもこんなにも風通しが良い風景があるのか、と。受賞を通して、その良い風景をより多くの人と共有できるのは、とても素敵なことです。

また、小林エリカさんの最新作『マダム・キュリーと朝食を』(すばる4月号掲載)が、三島由紀夫賞の候補になったそうです。こちらも嬉しいお知らせ。

昔、宇宙の話をするのを極端に嫌う友人がいて、聞くと「途方もなく広い宇宙のなかの地球という砂粒で暮らす自分の存在が、極小の点以下であるなんて今更知りたくもない」とのこと。詩人め…と思ったことを覚えているのですが、最近彼の言葉を良く思い出します。災害が起きて、途方もない規模の時間の話をされたときに感じる無力感は、それに近いのかも、と。『マダム・キュリーと朝食を』は、百年ほどの時空を行き来する小さな存在たちの物語で、彼ら彼女らは「光(=放射能)」に引き寄せられ、時に恐怖を覚えながらも、それに抗いがたい魅力を覚える。この小説を読んで思ったのは、百年という時間は想像力の届くぎりぎりの範囲なのかも、ということ。さまざまな資料をもとに、放射能が作り出された時代のことは、なんとなく想像できる。でも、それが消えてなくなる世界を思い浮かべることは今の時点ではとても難しい。長大な時間を抱えてしまった問題に、個人としてどう向き合うのか。この小説にでてくる者たちは、光をとりこみ、声に耳をすませ、死を迎え、語りを引き継いでゆく。とてもパーソナルなやり方で、奇跡に頼ったりしながら。

 

光がすっかり消え去る未来まで、時間だけは、たっぷりあるのだから。
小林エリカ『マダム・キュリーと朝食を』より

 

森さんの木村伊兵衛賞受賞作『intimacy』(ナナロク社)やOSSU各号、そして小林さんの『親愛なるキティーたちへ』や『光のこども』(リトルモア)など、ユトレヒト店頭でもお取り扱いありますので、ぜひ見にいらして下さい。

宮城